「証明」や「エビデンス」を正しく理解していますか?
こちらのサイトで、「証明されていない」という言葉が「そんな事実は存在しない」という誤った意味で使われているということを書かせていただいたのが、もう9年も前のことになります。
また、この事務所のコラムでも、「わからない」と「ない」は違うというコラムを5年前に書かせていただきました。
このように5年も10年も前に書いたことが、今でも全く変わらず当てはまってしまっているように感じています。とても悲しいことです。
「証明されていない」「証明不十分」を「そんな事実はない」としてしまう裁判官
「証明されていない」「証明不十分」というのは、証拠が十分ではなく、その事実が正しいと言えるかどうか確証にまで至っていないという意味です。これが「そんな事実はない」という意味でないことは、日本語を理解できる通常の人であればわかっていただけると思います。
しかし、「証明されていない」「証明不十分」であることを「そんな事実はない」と言わんばかりの態度で接してきたり、判決書に書き込んできたりする裁判官が、今でも決して少なくないというのが実感です。
「エビデンスがない」を「そんな病気はない」としてしまう医師
似た話として、医学の世界の「エビデンスがない」というのは、統計学上有意な差が得られた研究結果に基づく根拠まで得られていないという意味です。統計学上の有意差が得られなかったというだけで、「そんな病気はない」と判断することは、統計の理解を明らかに誤っています。
しかし、統計学上の有意差が得られなかったため「エビデンスがない」という結論だけを理由に、「そんな病気はない」「心の問題」という姿勢となってしまう医療関係者も少なくないように感じています。
また、検査結果で異常が出なかったとしても、それはその検査で異常が認められなかっただけですから、何か違う病気や、判明していない新たな病気の可能性が否定されることにはならないはずです。
しかし、よく知られた検査をして異常が出なかったという結論を見てしまった場合も、それだけで「病気ではない」「心の問題」という姿勢となってしまう医療関係者も少なくないのではないでしょうか。
正しい理解を
5年前に書いたコラムと同じことを言わなければならないことがとても悲しいことですが、こうした間違った理解が続く限り、本当の被害者は全く救われません。