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コラム

 

私の野球遍歴(その2・中学編)

2009年03月09日
弁護士  太田 賢二   プロフィール

 

 中学では,迷うことなく野球部に入った。僕らの頃の野球部といえば,それなりに運動神経の良い奴はほとんど野球部に集まる傾向があった。僕は,身体は小さかったけれども,それなりに自信はあった。
 

 ところが,練習はきつかった。まずは年功序列というか,そのときの最上級生だけでチームを構成する,という『しきたり』があったのだ。そのため1年生は,夏に3年生が引退するまでは,キャッチボールもろくにさせてもらえない。球拾いと,「いきょーい」というかけ声を出すばかり。その合間には,トレーニングと称して,(監督や先生ではなく)上級生から走らされる。
 

 僕は,50メートル走くらいまでは人並みに走れたが,それ以上の距離は遅くて,嫌で嫌で仕方がなかった。当時1年生10数名の中で,いつもビリから数えた方が早かった。そして遅い者は,いつまでも居残りで残されて,走るのをやめさせてくれない。
 

 こんな練習に耐えきれなくて,同じような立場の仲間と相談して,「辞める。」と決意したのは,1年の6月頃だったろうか。しかしお袋は,「自分で決めて野球部に入ったんだから,最後までやりなさい。」と言って,認めてもらえなかった。今50歳になろうかというときまで野球を続けてきていることを思うと,本当にこのときのお袋には感謝している。
 

 自分が最上級生になって,春の金沢市中学大会に優勝した。僕は,確か2番でセカンドを守っていた。太い黒縁のメガネを掛けていた。相手チームから,「夜店のメガネ掛けて野球すんな。」とやじられたことが懐かしい。
 

 最後の大会が終わったとき,1年生の頃のつらさはすっかり忘れて,高校に入ったら,絶対野球をしようと心に決めていた。
 

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