初めてのコラム・・・なぜ共同事務所を目指したか
僕は、1988年にいわゆるイソ弁(居候弁護士)として、札幌弁護士会に登録した。そこで5年間厳しい(?)修業を勤め、1993年に、「太田賢二法律事務所」という個人事務所を始めた。それから7年後の2000年に、同期である田中弁護士と「札幌おおぞら法律事務所」を設立した。
弁護士一人事務所というのは、結構良いもんだ。終業時間になれば、事務員に帰っていただき、一人ビールを飲んでいても誰も文句を言わない。ちょっと家に帰りたくないときも、「仕事だ」といえば、かみさんも、一応文句は言わない。自分の時間と空間を十分に確保できた。
それでも僕が共同事務所を目指したのはなぜか。まあ色々理由はあるのだが、一つには弁護士は孤独だ、ということ。事件や依頼者に一人で向かっていると、それが正しいのか、間違っていないのか、あるいは本当に依頼者のためになっているのだろうか。そんなことで結構思い悩む。そんなとき、人に相談することはなかなかしにくい。自分の業務として、あるいは弁護士として、間違いをしないように。それが共同事務所化の大きな理由だった。
もう一つ、自分より若い弁護士と事務所を営んでいくことに大きな関心があった。しかし、自分だけを見て若手が育つ、ということに何となく違和感を感じていた。それでいろんな経過の中で、全くキャラクターの違う同期である田中貴文弁護士と事務所を設立することとなった。
当初は、二人を含めてまあ4,5人の事務所をイメージしていたのだが、気がついたら今は、6人の弁護士。しかも近々また増える予定である。当面誰も出て行こうとしないらしい。居心地が良いのかどうかは、自分では分からない。ただ、それぞれの弁護士が、通常の仕事や手段自演、さらには弁護士としての会務等を一生懸命やっているのは、大変心強い。周囲から、おおぞらの若手弁護士を褒めていただくことが、本当にうれしい。
この先、どんな風に事務所が進んでいくのか分からない。今の事務所スタッフと共に、色々考えていきたい。もちろんそのときには、依頼者の視点を大切に。そして事務所設立の基本理念である「平和と市民」という視点も忘れずにいたい。
初めてのコラムで少々緊張している。今後は、仕事等を通じて感じたことのほか、準プライベート的なこともご紹介していきたい。それらのことで、僕の人となりや、当事務所の雰囲気を感じていただければ幸いである。